認知症終末期におけるスピリチュアルケア

西明寺・(医)普門院診療所内科 田中雅博

抄録

 認知症の緩和ケア・スピリチュアルケアについて私見を記した。 一度獲得した知的能力が失われてゆく苦しみは、自己存在の喪失に関わる苦しみであり、すなわちスピリチュアルペインである。 認知症患者の不安の根底にはピリチュアルペインがある。そして、日本の伝統的文化や習俗の基になっている仏教は、本来スピリチュアルケアであった。 看病禅師と臨終行儀の歴史があり、安心(あんじん)を与えるケアが行われてきた。

キーワード

緩和ケア スピリチュアルケア インフォームドコンセント 事前指示 追善供養

緩和ケア・スピリチュアルケア

 2004年11月、緩和ケアに関するローマ教皇庁国際会議に出席した。 会議は3日間で77ヵ国から758名の参加であった。実質的には医療に従事しているカトリック宗教者の勉強会である。 招待講演者は皆同じホテルだったので、筆者らは世界保健機関(WHO)緩和ケア担当女医と世間話をしながら食事をした。 日本では緩和ケアを単なる身体的苦痛緩和と誤解される傾向があるが、鎮痛等は緩和ケアの準備段階にすぎず、心髄はスピリチュアル・ケアである。 WHOでは緩和ケアを「身体的、心理的、そしてにスピリチュアルな痛みと苦悩の予防および緩和」であり、 「命を脅かす病気で悩む患者と家族のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を改善する方便」と定義し、 そして「最終的に死に至る病の過程で可能な限り早くから開始すべき」としている。1)

 死に至る病の過程で出現する痛みと苦悩には、身体的苦痛に加えて、他の動物とは違う人間独自の苦悩がある。 「自分が死ぬ」という、自己存在の喪失に関わる苦悩であり、これがスピリチュアル・ペインである。 身体的疼痛が強い場合には痛みに耐えているだけで他に余裕が無く、スピリチュアル・ペインも隠れている。 しかしオピオイドの適切な使用等で身体的疼痛が緩和されるとスピリチュアル・ペインが強く現れてくる。 認知症の場合には癌に比べて身体的苦痛が少ないのでスピリチュアル・ペインは強く出やすいと考えられる。

身体的苦痛をも増してしまった反省症例

 1998年、筆者らの医療法人が運営する老人保健施設にアルツハイマー型認知症の80歳女性が入所していた。 寝たきり状態で食事摂取も困難となったので、遠からず衰弱して死亡するものと考えられた。 本人は入所時既に説明を理解できなかったので、診療についての説明と同意は家族に行っていた。 内視鏡的胃瘻造設(PEG)は苦しむ時間を延ばす結果になると説明したが、家族は苦痛緩和よりも延命を希望したのでPEGを施行した。 患者は栄養不足での衰弱死を免れが、次第に手足を動かせなくなり、言葉を失い、体位変換のたびに痛そうな表情を見せた。 最期は痛みを耐えるだけの時間の延命となった。

 当時筆者らは認知症介護の質の向上のためにスウェーデンから指導を受けていた。 1999年春に招いたスウェーデン地方自治体高齢者福祉長と看護師は、この患者を観て、なぜPEGを行ったのかと筆者らを責めた。 スウェーデンでは、認知症患者を早期に発見し、理解や判断が可能な時期に病名告知を含めた説明を行って、 認知症が進行した数年あるいは十数年後に必要となる本人の自己決定の事前指示書を病院に保存するという社会システムが完成している。 そして、判断能力を失った認知症患者について認知症ケアのチームが会議を開き、本人の事前指示を確認してPEGや蘇生術を行わないことを決定するという。 認知症が進行して仮性球麻痺となった場合にPEGを希望するという本人の事前指示は皆無に等しいとのことだった。

 日本では認知症の早期診断・早期病名告知はほとんど行われていない。 本人の希望が確認できないまま家族の延命希望によって、苦しむ時間も延長されている。アメリカでも日本と同様の状況だ。 JAMAの論文によると仮性球麻痺の認知症患者(MDSのCPS6)が全米のナーシングホームに186,835名いて、 そのうち63,101名(33.8%)が経管栄養による延命を受けている。2)

 本人が理解および同意不可能の場合にはインフォームド コンセントを法定代理人から得る必要がある。 しかし日本では、法定代理人が多くの場合決まっていないのが現実である。 介護保険制度では契約が必要とされ、契約能力がない認知症を想定して成年後見制度が同時に作られた。 しかし、日本では「契約」という概念になじみが無く、成年後見制度を利用している認知症患者は稀である。 日本国憲法も社会契約説を基本にしているが、そもそも契約という日本語は明治時代に外国語の翻訳語として作られた言葉だ。 「結ぶ」(コン)「引っ張って」(トラクト)という意味の訳語として「契約」というキリスト教的な言葉が造られたようだ。3)

 筆者らがスウェーデンの看護師から指摘されたような認知症患者への虐待を防止するために、成年後見制度には期待できないので、 スウェーデンのように認知症の早期診断を社会的に徹底して、認知症の詳しい説明を行った上での事前指示を記録しておくことが望まれる。 事前指示書の保存場所としては、介護予防のために設置された包括支援センターが候補である。

科学、ヒューマニズム、宗教、そして自己決定権

 ソクラテスは、間違っていたと認めれば死刑にならなかった。 しかし間違いを認めず、死刑になることを選んだ。4)  もし自分の命より価値あるものがあったなら、それをその人の宗教と言ってよいだろう。 この意味でソクラテスの哲学は、彼にとって自分の命を超えた価値、宗教だった。 自分の命がなくなるという苦しみのケア(スピリチュアル・ケア)には、自己の命を超えた価値の存在は有用だろう。

 コペルニクスは神父で医者だった。彼は古代ギリシャの天文学文献を読んで『天体の回転について』を書いた。 ジョルダーノ・ブルーノはコペルニクス説を支持して火焙りの刑に処せられた。 ガリレオはジョルダーノ・ブルーノ火刑の10年後に『星界の報告』を出版した。 彼は死刑を免れるため、ジョルダーノ・ブルーノやソクラテスと違って裁判で間違いを認めた。 「間違いを検証する科学」と「科学が価値を捨てた」ことを象徴する出来事だ。

 現代医学は科学であり、インデックス・メディクスに載っている医学論文の総体ということができる。 科学は実験と観測で反証可能なことだけを扱う、いわば「世界規模の間違い探し」だ。 「間違っているかどうかを実験や観測で検証できること」に関しては、科学が最も信頼できる。しかし反証可能性は科学の限界でもある。 間違いか否かではない次元の問題、例えば自分の命という価値の問題や倫理の問題などは非科学の領域だ。そこでは良いものが残って選ばれ、古典となる。

 ジェレミー・ベンサムが引用して有名になった「最大多数の最大幸福」、この原則が不適切な例として、ジョン・スチュアート・ミルはソクラテスの裁判を挙げた。 公正な裁判であったが、最も尊敬すべき人を多数決で死刑にした。 そして「判断能力のある成人は、自分に関して、他人に危害を加えない限り、その選択が本人に不利であっても、自己決定権を有する」とした。5)  「情報を知らされた上での自己決定権の尊重」、すなわちインフォームド・コンセント(説明と同意)はニュルンベルク綱領、ヘルシンキ宣言を経て生命倫理の基本となった。 リスボン宣言には「患者は、患者自身が選んだ宗教の聖職者による支援を含めて、宗教的及び倫理的慰安を受ける権利を有し、またこれを辞退する権利も有する」とあるが、 この権利は日本では無視されている。

(ヘルシンキ宣言・リスボン宣言の日本語訳は筆者らのウェブサイト http://fumon.jp/参照)